INTERVIEW2023.7.12

四国には、世界に誇れる「豊かな風景」がある。ー穴吹エンタープライズ(株)・三村和馬氏ー

INTERVIEW2023.7.12

四国には、世界に誇れる「豊かな風景」がある。ー穴吹エンタープライズ(株)・三村和馬氏ー

ホテル・旅館・劇場・ゴルフ場や道の駅などの「観光」と、地域のシンボルと言える各種公共施設を管理・運営する「公民連携(PPP)」を柱として事業を展開する穴吹エンタープライズ(株)。三村氏は社長として、同社の先頭に立ち事業を推進しています。2025年に新設される中四国最大の屋内型施設「香川県立アリーナ」(あなぶきアリーナ香川)の運営も決定するなど順風満帆ですが、三村氏は「不得意な分野の中でしんどい思いも多かった。苦手に全力で取り組むことで、視野が広がった」と、自身のキャリアを振り返ります。「事業は手段に過ぎない。私たちの目的は、地域を元気づけること」と断言する三村氏に、四国ならではの働く価値についてお聞きしました。

不動産営業で8年、社長秘書で8年、厳しい現場を経験。


溝渕
三村社長は岡山ご出身ですが、どうして香川に本拠を置くあなぶき興産グループへ入社しようと思われたのですか?
三村
一言で言うと、不動産王になりたかったんです(笑)。デベロッパーとして街を作るような仕事がしたくて。私が十代の頃はバブル絶頂期で、不動産業界の景気の良さが際立っていました。若かったこともあり、華やかさに惹かれたんです。
私は、在学していた経理専門学校の理事長から「宅建を取ってみなさい」と勧められまして。その時、初めて宅建という資格の存在を知りました。不動産業界には必須だからと聞き、それならとチャレンジして何とか合格。学生で宅建取得は珍しかったこともあり、いろんな不動産会社から「ウチに入社しないか」と誘われました。
あなぶき興産に興味を持ったのは、一つには岡山を出てみたかったからです。加えて、あなぶき興産のリクルーターと話した時に言われた「あなぶきは何にもないけれども、何でもできるよ」という言葉が、決め手になりました。


加地
入社されてからずっと不動産に関わったのですか?
三村
8年くらい、ゴリゴリの不動産営業をやっていました(笑)。私の入社した頃のあなぶき興産はまだ小さく、営業もシステマティックじゃなかったので、いろんなことをやらされました。嫌なこともたくさん経験しましたよ。上司に「なぜ同じように働いているのに、専門卒の私と大卒の同期とで給料が違うのですか!」なんて食ってかかったこともあります。すると「もっと成果を出せばいい。営業には報奨金もあるから」と言われまして。その通りだな、じゃあもっと成果を出してやろう、と頑張りました。
営業は、徹底的に頑張ろうと開き直れたら、数字は出るんです。意に染まないことがあっても、必死でやれば、成果は比例する。そのうち、「三村は学生の頃に宅建を取って、数字も出せる。面白いやつ」と言われるようになりました。嫌だと思うことでも、まずはやってみる。中途半端でなく、徹底的にトライする。それによって道が拓けることもあるのだ、と学んだ気がします。
溝渕
その後のキャリアについて教えてください。
三村
営業から、異動になった先が社長室です。秘書として、それまで以上に多様な業務に関わるようになりました。
グループ会社で3ヶ月に1回、実績を検討するミーティングを行うのですが、各社の利益計画の進捗状況を問い合わせたり、社長の指示が各社でどこまで実行できているか確認して報告するのは、私の役目でした。私の報告した数字を基に社長はミーティングで議論され、判断されるのですから、とても重要な務めです。あなぶきグループの事業についても学べました。
他に上場準備やIR関連、グループ会社の調整にも携わりました。午前中にはあなぶき系列の学校に顔を出し、午後にはグループの人材派遣会社を訪ね、翌日はまた別の会社へ…と動き回るのが当たり前の日々でした。
社長の名代として、M&Aや事業再生に出向いたこともあります。2001年の高松国際ホテルの事業再生にも関わりました。複雑な権利関係を調整して、遊休資産を売却してキャッシュをつくり、本業に投資して付加価値を生み出すといった業務は、不動産屋だったからできたことだと思います。
社長の指示があれば、どこへでも駆けつける、という感じでしたね。忙しかったけれど、ラッキーだとも思っていました。サラリーマンでこんな多彩な経験をさせてもらえるというのは、あまりないでしょう。

与えられた場所で全力を尽くし、視野が広がった。


加地
忙しくも充実感を持って過ごせたのは、社長の存在も大きかったのでしょうか。
三村
むちゃくちゃ大きかったです。8年一緒にいて、社長の経営者としての厳しさも、人としての温かさも間近にしてきました。器の大きい人だな、と感じましたね。
秘書になる時、社長のお母さんから私は直接お願いされたんです。「社長に間違った判断をさせないよう、正しい情報を持っていくようにお願いします」と。
社長ですからね。いろんな人の言葉が耳に入ります。中には変なバイアスのかかった情報に触れることもある。そういう時、私は恐れずに「社長、その情報は違います」と伝えようと心がけていました。中国の故事に「逆命利君」という言葉があります。「例え君主の命に背いても、君主のためだと思うこと成すことが本物の“忠義”だ」という意味です。
加地
多忙な日々を過ごす中で、体調を崩されたこともあったとお聞きしました。
三村
自分が気づかないうちに、無理を重ねていたのでしょうね。いわゆるバーンアウトで、意欲は全然衰えていないのだけれど、体が言うことを利かなくなってしまって。メンタルヘルスを取り戻すまで、休養せざるを得ませんでした。
何とか体が動くようにはなったものの、社長に迷惑はかけられないと思い、辞表を出すつもりだったんです。すると社長から、「もう無理をするな。あなぶきエンタープライズに行って、県民ホールでお芝居を見る、くらいのつもりで少しゆっくりしてくれ」と言われましてね。私の体調を慮り、負荷をかけないように、と社長が勧めてくれたキャリアです。最後のご奉公のつもりで、県民ホールにやってきました。
溝渕
営業やM&Aなど厳しい現場ばかりを渡り歩いてきた三村さんにとって、ずいぶん雰囲気の異なる職場に戸惑いはなかったですか?


三村
それはありました。施設管理は基本的に「農耕型」の仕事だし、私はずっと「狩猟型」の仕事ばかりでしたから。自分に向いているのかな、嫌だなと感じる時もあったけど、せっかくの社長の勧めですし、まずは思うようにやってみました。
渡辺和子さんの著した本のタイトルでもある「置かれた場所で咲きなさい」という言葉が、私は好きなんです。意図せずに与えられた環境で、いかに成長し、自分を開花させてあげるか。そのプロセスこそが人間の価値だと考え、私は開き直ったのです。
もう一つ、高松国際ホテルの案件を担当した時、ホテルで働く人々はとてもフレンドリーだ、と実感したことも頭に残っていました。みんな純粋だし、お客様に喜んでもらおうと誠心誠意がんばっている。そういった人たちと一緒にやるのも悪くない、という思いもありました。
加地
自分が望んだわけではなく、嫌だと思う時も多少はあったけれど、与えられた場所で全力に取り組んできた。三村社長のキャリアは、その繰り返しだったように感じます。
三村
苦手だと思っていた分野で敢えて全力を尽くしたことで、自身の成長につながったような気がします。嫌だと思ったのは言わば食わず嫌いみたいなもので、実際にやってみると面白いし、ぐっと視界が広がりました。

固定の事業ドメインはない。「他に比類なき」会社。


溝渕
香川県県民ホールに出向されたのが2008年で、あなぶきエンタープライズの総合企画室長に就任されたのが2011年。ここでまた、視界はかなり広がったでしょうね。
三村
あなぶきエンタープライズに来たおかげで、取引先もお客様の顔ぶれも、ガラッと変わりました。自分の人生がいっそう豊かになったと感じます。
加地
あなぶきエンタープライズはホテル・旅館、スポーツ・健康増進、サービスエリア、公民連携(PPP)の4事業を展開されておられます。昨今は特にPPPを伸ばしておられる印象ですが、三村社長はどのような手応えを持たれてらっしゃいますか?
三村
当社の事業は、大きく「観光」と「公民連携」の2つに分けられます。公民連携分野では、香川県県民ホール、高松国際ホテル、サンメッセ香川や香川県総合運動公園など、香川の顔と言える施設の大半を当社が運営しています。2025年に新設される、中四国最大の屋内型イベント施設である香川県立アリーナも、当社を中心とするコンソーシアムで運営することが決まり、PPPの管理施設数は16に拡大しました。
こうした実績をあげられているのは、当社が、あなぶき興産グループの経営ビジョンである「地域に生かされ、生きる」を体現した組織だからだと思います。公民連携の仕事は、まず地域の自治体から選んでもらわなければ、何も始まりません。そして与えられた役割に全力を注ぎ、責任を果たすことで「あなぶきはいい仕事をするから」と、次のチャンスが生まれます。まさに「地域に生かされ、生きる」のループが、事業を発展させてきたのです。これはPPPだけでなく、ホテルを中心とした観光分野も同様です。
ただし私は、当社の展開する事業は「手段」に過ぎない、と捉えています。
加地
どういうことでしょう?
三村
私たちの「目的」は、瀬戸内圏ににぎわいを生み出し、地域の人々に楽しんでもらい、地域を元気づけることです。その「手段」として観光事業があり、PPPがあるのです。
ですからこれらの事業は決して固定的なものではなく、瀬戸内圏を元気づけることなら、何をやってもいいと思っています。PPPを通じ地域のシンボルとなる施設管理を行っているのだから、その中で行われるイベントの企画、すなわちエンターテインメント分野に、今以上に深く足を踏み入れてもいい。アリーナというハード施設を活かした最高のエンタメがあれば、多くの人々が香川に来てくれるでしょう。さらにあなぶきグループのシナジーを活かし、そこに観光なども付け足せば、地域経済の活性化も期待できます。
観光と施設管理を行い、同時にエンタメまで提供できる会社は、少なくとも地方には存在しません。あなぶきエンタープライズはONE&ONLYの会社として、地域のにぎわいづくりに貢献したいと考えています。

「観光」面から見ると、四国のポテンシャルは大きい。


溝渕
三村社長は「四国ならではの働く価値」について、どのようにお考えでしょうか。
三村
ビジネスマーケットとしては、人口400万人弱の四国の魅力は、そう大きくないかもしれません。しかし「観光」という見方で考えると、四国及び瀬戸内海は、世界に誇れる資源だと思います。
先日、東京から来た取引先の人を連れ、香川を案内したんです。昼はうどんに舌鼓を打ち、夕暮れの程よい時間に、屋島に行って瀬戸内海の夕暮れを眺めました。すると「豊かですね」と感想を漏らすんです。東京に住む自分たちが、こんな時間を味わうことはない、と。この豊かさこそ、地方にしかない価値です。
私たちはこの価値を磨いて、域外から来た人々に提供していくべきだと思います。「観光」のレンズでみたら、四国のポテンシャルは大きいですよ。
私は今、徳島の祖谷温泉で仕事しているのですが、そこには人工の騒音がないんです。鳥のさえずり、水のせせらぎ、風にゆれる木々の音…空を見上げると雲がゆったり流れ、夜には満天に星が広がる。昼間、仕事でカリカリしていても、ここに来たら穏やかになる。そこにいるだけで、豊かさを感じられる。四国にはそんな空間がたくさんあります。
加地
確かに、観光という面から見ると、四国には可能性を感じますね。


三村
日本の産業の中で、外貨獲得の貢献度が高いのは、第一が自動車、第二がケミカルです。これらに続くのが、実は観光です。観光は、日本が世界に誇れる輸出産業なのです。
便利さや機能性を求めるなら、大阪や東京の方がいい。そこをローカルの都市が真似しても、大都市に追いつけるわけはありません。しかし、四国には大都市に負けない風景や文化があります。「観光」でそれらに触れることがきっかけとなって、定住を考える人も出てくるかもしれません。「より良く生きたい、日々を豊かに暮らしたい」人にとって、四国は魅力的な選択肢となり得るのではないでしょうか。
溝渕
三村社長のご自身は岡山のご出身ですが、岡山県人の社長から見て、香川・四国はどのように見えるのでしょう。何か違いはありますか?
三村
岡山と比べると、香川はのんびりしていて、いいなあと思います。高松市など、中心街はそれなりに都会ですが、少し歩けば、もう海が見える。私は香川県県民ホールに出向になった当初、嫌なことがあると、弁当を持ってきて波止場で海を見ながら食べてました。食べ終わったら、昼寝です。わずか1時間の休憩でも、のんびりできて、たっぷり寝て、生気を取り戻せる。こんな楽しみは、他にはないですよ。
四国では人口減が進んでいますが、人が密集していないからこそ、自然とうまく調和して、原風景を維持できている、とも言えます。それは観光という面では資源だし、暮らしの豊かさをもたらす基盤でもあるのではないでしょうか。
加地
観光という物差しで見た時、四国のポテンシャルは大きい。それが地域の活性化をもたらし、定住人口を増やす原動力になるかもしれないというのは、ご指摘の通りですね。
お忙しい中、貴重なご意見をいただき、本当にありがとうございました。

三村 和馬

穴吹エンタープライズ(株) 代表取締役社長

1971年、岡山市生まれ。岡山会計学館経理専門学校(現ビーマックス)に進学し、在学中に宅建資格を取得。1992年、同校を卒業し、穴吹興産(株)入社。不動産営業を8年経験。その後、社長室に異動し、秘書としてグループ会社間の調整、M&Aや事業再生案件など、多彩な業務を担当する。2008年、穴吹エンタープライズ(株)に出向、香川県県民ホールの施設管理に携わる。以降、総合企画室長、執行役員兼香川県県民ホール館長、取締役公民連携(PPP)事業部長を歴任。2019年、あなぶきエンタテインメント(株)の代表取締役社長に就任。2022年、穴吹エンタープライズ(株)の代表取締役社長に就任。

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