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人と地域の出会いから、笑顔の輪を広げていきたい。

寺尾 敦史

人と地域の出会いから、
笑顔の輪を
広げていきたい。

コンサルタント

寺尾 敦史

Terao Atsushi

子どもの頃から「みんなを楽しませたい」という気持ちを原動力にしてきた寺尾さん。アスリートとしての挫折、農業への挑戦、そしてプロサッカークラブでの被災地支援と、多彩なキャリアを歩んできた寺尾さんに、人と地域を笑顔にしたいという想いの原点を伺った。

インタビュアー/小野洸樹

目標に向かってひたむきに走り続けた学生時代

子どもの頃は、どんなお子さんでしたか?
とにかく、みんなを楽しませたい子どもでした。小学校の頃から学級委員や生徒会を任され、足が速かったので陸上の記録会では学校代表にも選ばれていました。各校の代表が集まる練習で、みんなを笑わせようとトラックを逆回りに走り、先生にこっぴどく叱られたこともあります(笑)。どうすればその場が楽しくなるかを、つい先に考えてしまう性分でした。
高校では何かスポーツをされていましたか?
グラウンドで声を出して走っている先輩たちがかっこよく見えたことがきっかけで、ハンドボール部に入部しました。一つ上の代が学校史上初めて全国大会に出場し、その舞台を見て「絶対にここに行く」と心に決めました。自分たちの代になり、私がキャプテンになってからは、誰より先にグラウンド整備を始めて最後まで残り、ゴールキーパーとしてずっと声を出し続けました。言葉よりも、真剣に取り組む姿でチームを引っ張りたかったのです。目標の全国には届きませんでしたが、最後は県ベスト8まで勝ち進みました。
目標を決めて、そこに向かって努力するタイプなのですね。
そうですね。目標が決まれば、そこに向かってコツコツ積み上げられるのが自分の強みだと思います。大学でも、スポーツをやるなら本気で打ち込めるチームに入りたいと考え、信州大学で一番熱量の高かったアメリカンフットボール部を選びました。未経験からのスタートでしたが、2年生から試合に出られるようになり、4年生の最後にはリーグの優秀選手として表彰していただきました。
寺尾 敦史寺尾 敦史

自分の強みを見つけ、誰かのために働く喜びを知る

社会人になってからはいかがでしたか?
株式会社リクルートのアメリカンフットボール部からスカウトを受けて、同社に入社しました。入ってみると、上には上がいることを思い知らされました。選手としても一流で、仕事でも抜きん出ていて、人柄も素晴らしく、みんながついていく。そんな先輩が身近にいたのです。自分がいかに小さな世界で生きてきたかを知り、もっと成長したいと思わせてくれた大きな出会いでした。
その経験から、どのように道を切り開いていったのですか?
自分が一番力を発揮できる場所を探しました。アメリカンフットボールでいうと、きれいに曲がるのは苦手でしたが、まっすぐ走ることなら誰よりも速い。そこに振り切ったことで、チームの中に自分のポジションができました。仲間やコーチも、その強みを認めて生かしてくれたのです。チームは日本社会人選手権で2度優勝したのですが、その時に東京ドームで浴びた大歓声は今も忘れられません。
スポーツで培ったこの「自分の強みを生かす」という姿勢は、仕事にもつながりました。お客さまに頼っていただける場面が少しずつ増え、営業としても結果を出せるようになっていったのです。
仕事で手応えを感じたのは、どんなときですか?
企画のメンバーと組んで、商品をつくるところから売り切るところまでをチームでやり遂げたときです。この企画は、全社の新規事業コンテストで最優秀賞をいただきました。お客さまのことを考え、自分の気持ちを込めてつくった商品は、売った後の手応えが全く違います。この経験は、今の仕事にもつながっています。
その後、30歳でリクルートを退職し、新たな道へ進まれたのですね。
自分の力で、自分の思うように働いてみたいという想いがありました。それに、田舎育ちの私には、自然が近く、ゆったりとした地方の暮らしが合っていると思ったのです。生き物が好きで、頑張った分だけ応えてくれる農業に惹かれ、高知県で有機農業を学んだのちに、地元の愛媛へUターンして農業を続けました。
生き物と向き合う日々はかけがえのないものでしたが、農業だけで暮らしを成り立たせるのは簡単ではありません。「自分が心から気持ちを込めて届けられるものは何だろう」と考え抜いた末に行き着いたのが、やはりスポーツでした。選手として味わったあの喜びを、今度は人に届ける側として味わいたい。そう考え、地元のプロサッカークラブの門を叩きました。
サッカークラブでの仕事で、心に残っている仕事は何ですか?
東日本大震災の後、5年間続けた被災地支援です。1年目は被災地の野菜や果物を仕入れて愛媛で販売し、その売上を被災地にお届けしました。3年目には、原発事故の影響で離れ離れになってしまった福島県南相馬市の小学生たちによるマーチングバンドを、愛媛のスタジアムに招きました。スポンサーを募って実現した企画です。
試合後、相手チームのサポーターまで一緒になって「南相馬」の名前をコールしてくれたのです。約7,000人の観客が集うスタジアムに自分たちの故郷の名前が響き渡り、子どもたちは涙を流していました。
その経験は、寺尾さんにとってどんな意味がありましたか?
誰かのために一生懸命やっていれば、喜んでくれる人がいる。それは自分のためだけに頑張るよりもずっと気持ちがいいと、心から実感しました。もう一つは、続けることの大切さです。想いを持って長く続けるほど、感動は大きくなります。この2つは、今も私の働く軸になっています。
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変わりたい地域に、新しい風を連れてくる

リージェントを選んだ理由を教えてください。
「地域活性の源となる力であり、地域から信頼される存在であり続ける」という経営理念に惹かれました。地域が元気になれば、そこに暮らす人々の笑顔が増えます。子どもの頃から変わらない「接する人に笑顔になってほしい」という想いを、自分の手掛けた仕事を通じて形にし、地域に笑顔を一つでも増やしたいと思ったのです。
地域の企業と関わる中で、見えてきたことはありますか?
プロサッカークラブでは法人営業部長として、スポンサー収入を毎年伸ばしてきました。多くの経営者の方と関わる中で実感したのは、地域の経済を動かすのはやはり「人」だということです。都市部から戻ってきた跡継ぎの経営者が、会社の枠を超えて若手経営者の仲間を集め、町を元気にしていく姿も見てきました。熱意と実力のある人が加わると、地域はこんなに変わるのだと希望を感じました。
四国の企業には、どんな可能性がありますか?
四国の企業には、確かな力と熱い想いを持った方がたくさんいます。「もっと良くなりたい」と願いながら、そのきっかけを待っている会社も少なくありません。そこに都市部で経験を積んできた方が加われば、会社は大きく変わり、今いる社員の方々もさらに生き生きと働けるようになると思っています。
Uターン・Iターンを考える方にとって、どんなチャンスがありますか?
都市部で当たり前に培ってきた経験が、地方では大きな価値になります。たとえば、デジタルの力が加わるだけで、会社が一気に変わることもあります。これから伸びていく産業もあり、そこに新たな人材が加われば、成長はもっと加速していくはずです。これまで積み重ねてきた経験を、存分に生かせる場所がここにはあります。
今後、どのようなコンサルタントを目指していきたいですか?
大きな会社から小さな会社、自分で事業を営んだ経験まであり、一般社員から管理職までの立場も経験してきました。スポーツや再生可能エネルギーの仕事では、自治体や地域の企業とともに事業をつくってきました。だからこそ、転職を考える方の想いに、当事者として寄り添えると思っています。大切にしたいのは、丁寧にお話を伺うこと。今のお仕事で何に悩み、次の環境で何を実現したいのかを一緒に考えたいです。
仕事を決め、住む場所を決めるのは、人生の中でもとても大きな選択です。ご縁をおつなぎした方が入社後も長く生き生きと活躍し、笑顔が地域の中で循環していく。そんな未来に向けて、一人ひとりの決断を全力でお手伝いしていきます。
寺尾 敦史寺尾 敦史

寺尾 敦史

愛媛県今治市出身。大学卒業後、1998年に株式会社リクルートに入社。関東圏にて求人広告の企画営業、メディア編集、求人サイトの構築など、人材ビジネス全般に携わる。その後、高知県へ移住し有機農業を手掛けたのち、地元・愛媛県へUターン。プロスポーツチームでのスポンサー営業や、再生可能エネルギー業界での資産管理業務など、多岐にわたる分野で経験を積む。キャリアを通じて大切にしてきたのは、「自分の手掛けた仕事で、地域に笑顔を生み出したい」という想い。そうした想いと株式会社リージェントの「地域活性の源となる力であり、地域から信頼される存在であり続ける」という理念が重なり、同社への入社を決意する。現在は、自身もUターン転職を経験した当事者として、香川・愛媛エリアを中心にUIターンを検討する方々と、地元の魅力的な企業をつなぐべく、転職コンサルティングに従事している。

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