徳島2026.3.18

世界を渡り歩いたからこそ見える、地方企業の可能性。ーバイオ科学(株)・中村翼氏ー

徳島2026.3.18

世界を渡り歩いたからこそ見える、地方企業の可能性。ーバイオ科学(株)・中村翼氏ー

シンガポールを拠点に、多国籍なチームを率いてグローバル経営の最前線を経験してきたバイオ科学株式会社 取締役経営戦略室長の中村翼氏。そんな中村氏が次なる挑戦の地として選んだのは、地元・徳島でした。しかしその決断は、決して輝かしい展望に満ちたものではありませんでした。「徳島に戻ってからの青写真は全く描けていなかった」と語る中村氏。そうした状況から、なぜ地方の、それも極めて専門性の高いバイオ企業の変化と成長を支える存在となり得たのでしょうか。中村氏が感じるバイオ科学の強さ、そして、地方中小企業で働くからこそ感じる働く価値についてお話を伺いました。

グローバル最前線から徳島へ。展望なきUターン。


佐々木
中村さんは長らく海外、特にシンガポールを拠点にされていたのですよね。徳島にUターンされるまでのキャリアから伺えますか。
中村
新卒で金融実務を経験した後、スイスに本部を置く協同組合(CO・OP)の国際組織へ出向しました。シンガポールを拠点にアジア全域の経営支援を担うなかで、グローバルビジネスの面白さにのめり込み、転職してシンガポールに留まることにしました。その後は日系企業の海外現地法人取締役として、不動産、建設、インフラ事業の立ち上げやM&A、さらにはベトナムの企業の経営再建までを指揮してきました。当時内戦下にあったスリランカでは自爆テロの危険が隣り合わせの「修羅場」を潜り抜けるなど、多様な文化や価値観に適応する力を養ってきました。


德永
グローバルなキャリアを進まれていたわけですが、2019年のUターンは、計画的なものだったのでしょうか。
中村
いえ、正直に言えば「展望なき帰国」でした。いずれ徳島に帰らなければという思いはありましたが、そこから逃げるように海外での勤務を楽しんでいました。しかし、祖母の入院に伴う空き家問題、そして両親の健康不安。避けては通れない家庭の事情もあり「まだまだ海外で働きたい」という想いを捨て、覚悟を決めてUターンを決断しました。
シンガポールでの生活は非常に充実していましたし、妻も海外の航空会社で働いていました。周囲からは「本当に徳島で耐えられるのか」とすごく心配されましたし、私自身も「無理かもしれない」という不安を抱えたまま、ある種の開き直りで飛行機に乗りました。
佐々木
帰国後、どのようなキャリアになりましたか。
中村
最初に入社したのは地元の内装事業会社でした。シンガポールでのキャリアとは対極にある、昔ながらの職人気質が残る昭和的な現場です。当然、グローバルな経営理論なんて通用しません。そこで私が最初に取り組んだのは、職人の皆さんの「代弁者」になることでした。
経営陣からの厳しい要求に対し、私が現場の先頭に立って意見を調整し、時には体を動かして作業を手伝う。そうして「あいつは俺たちのことを分かっている」という信頼を一つひとつ積み上げていったのです。この時期に「理屈だけでは動かない現場の論理」を肌で学んだことは、私にとって非常に大きな財産となりました。

専門家集団を繋いだ「横の視点」を持つ非専門家。


德永
バイオ科学との出会いは、どのようなものだったのでしょうか。
中村
「海外展開を強化したい企業がある」と紹介され、顧問という外部の人間として関わり始めたのが最初です。当初はエグゼクティブアドバイザーという立場で、M&Aや特命プロジェクトをサポートしていました。
佐々木
これまで経験したことの無い業界への挑戦。難しいこともあったと思いますが、どのように関わってきたのでしょうか。
中村
私はよく社内で「正直なところ、専門的なことは分からない」と言っています。でも、それが武器になるのです。分からないからこそ、異なる専門性を持つ部署同士を繋ぎ、現場の「通訳」になることができる。専門家はどうしても「深掘り」して視野が狭くなりがちですが、私が外から「横の視点」を持ち込み繋ぐことで、組織に化学反応が起き始めたのです。
佐々木
組織が変わるきっかけが生まれた感じですね。


中村
一つの象徴的な出来事は、私が外部の人間だった時に「英会話サークル」を立ち上げたことでした。バイオ科学は研究開発型企業ですから、社員の多くは特定の分野を極めるマニアックな専門家です。しかし、部署間の横の繋がりが希薄気味で、組織全体としての一体感に欠けているように感じていました。そこで私は、英語に興味がある社員を部署横断で集め、ゆるやかな交流の場を作ってみました。その結果、専門用語も役職も関係ない、フラットな場となり、部署間を超えたコミュニケーションが生まれていきました。今では複数の部署が関係するプロジェクトが立ち上がるなど、部門を超えた交流が自発的に生まれる流れができています。そんな些細なことから変化は起きていくものです。

経験則から科学的根拠へ。動物への深い愛を貫く独自のDNA。


德永
バイオ科学の強みの源泉は、どこにあるとお考えですか。
中村
一言で言えば「生命を科学する」というフィロソフィーを体現する、凄まじいまでの執念と愛です。私たちは養殖魚がいかに美味しく、健康に育つかを追求してきました。かつては経験則で餌を与えていた業界に対し、科学的な根拠を持って必要なビタミン量を割り出し、栄養剤を提供したのが事業の始まりです。社員の多くが「魚好き」だからこそ、水産・畜産の現場で本当に必要なものを、長い時間と多くの資金をかけて開発してきました。例えば、最近ようやく農林水産省の承認が下りた水産用麻酔剤「バイオネンネ(R)」。これ、実は構想から承認まで20年もかかっているのです。
德永
20年ですか…。なぜそこまで長い年月をかけて開発を続けられたのでしょうか。
中村
養殖業においては、私たちが食べる魚を病気から守り、安全に育てるために、人間と同じようにワクチン接種が不可欠です。そのワクチンの接種時に魚が暴れて魚や人間が傷つかないように使い勝手の良い水産用の麻酔剤が必要となります。これまで、ある特定成分については、魚への負荷が小さく、麻酔効果も高いことが知られていましたが、正式に動物用医薬品としての承認を受けたものが存在していない状態でした。その現状に対し、現場の社員が「自分たちが食べる魚に、効果が高く安全で承認を受けたものを使いたい」という信念を持ち続けたことが大きな理由です。承認を得るには莫大な試験データと役所との粘り強い交渉が必要で、他社なら「割に合わない」と、とっくに諦めていたでしょう。でもバイオ科学はしがみついた。この「実直さ」こそが、国内の水産用医薬品市場でトップクラスのシェアを誇る理由です。
德永
テレビ等で話題になった国産初のクマスプレー「熊一目散(R)(くまいちもくさん)」も、そうした文脈から生まれたのでしょうか。
中村
あれもバイオ科学らしい開発エピソードのある製品です。もともとは食品用の唐辛子ビジネスの譲渡話から始まったのですが、食品以外でもカプサイシンを活かせないか、という発想から生まれました。
私たちは「動物のプロ」です。ただ熊を撃退するだけでなく、野生動物との適切な距離を保ち、共存するためのツールとして開発しました。単なる「武器」ではなく「命への敬意」が根底にあり、こだわりをもった国内初の熊スプレーが誕生しました。「生命を科学する」というフィロソフィーが、私たちのDNAなのです。

自律した個人が輝くブルーオーシャン。地方発で世界を変える。


德永
四国で暮らし、「働く」ことを今はどうとらえていますか。


中村
多くの人が「地方は人口が減って衰退している」と悲観的に捉えますが、私は全く逆だと思っています。人口が減っているからこそ、一人ひとりが享受できる資源や利益の割合は大きくなる。この「少ない人数で豊かな利益を分かち合う」という発想の転換こそが、四国で働く最大のメリットです。
德永
かつての「VS東京」というような、都会に対抗する姿勢とは異なるわけですね。
中村
はい。東京と戦う必要なんて全くありません。地方には地方にしかない「強み」を尖らせればいい。プライベートでは、週末に眉山の麓と山頂を走って往復したり、剣山系でトレイルランニングを楽しんだりと、自然と共生する贅沢を味わっています。
仕事では世界中とオンラインで繋がり、ダイナミックなビジネスを動かす。一方で、一歩外に出れば豊かな自然の中で自分を取り戻せる。このオンとオフの極端なまでのコントラストこそが、現代における最も贅沢な「働く価値」だと確信しています。地方は「都落ち」の場ではなく、むしろ自律した個人が最も輝ける「ブルーオーシャン」なのです。
佐々木
徳島というローカルな拠点から、現在はインド企業との資本提携など、非常にダイナミックに動かれていますね。
中村
2026年1月には、不要になったカイコの蛹を活用した代替たんぱく源の製造販売を行う、インドの企業と資本提携を結びました。私たちが掲げるパーパス「世界の食料生産の課題を解決する」の達成に向けた新たな打ち手です。今後、世界各国でパートナーを見つけグローバル展開を加速するために、東京事務所を「Global Innovation Office」へと改称し、各拠点のハブにしていこうと考えています。
バイオ科学は2030年に売上100億円以上、グループ全体で300億円以上を目指しています。特定のニッチ領域で世界レベルの強みを持つ企業が地方に点在すれば、日本はもっと面白くなるはずです。

正解なき問いに自ら答えを創る。地方企業で鍛え抜く市場価値。


佐々木
中村さんのキャリア観についても伺いたいのですが、これからの時代、どのような意識を持って働くべきだと思われますか。
中村
変化の激しい時代であることもあり、「安定」を求める傾向があるように感じますが、私が過去に経験してきたように、どんなに大きな規模の会社であっても倒産する時は倒産します。本当の安定とは会社に守られることではなく、どこへ行っても通用する「自分自身の市場価値」を高めることにあるはずです。
德永
そのために地方企業だからこそ得られる経験にはどのようなものがありますか。
中村
バイオ科学のような成長フェーズの地方企業では、一人ひとりに与えられる役割が非常に大きく、経営の全体像を肌で感じることができます。正解のない問いに自ら答えを創り出す経験を積むことで、大企業の歯車として働くよりも、確実に「キャリアとしての筋肉」がつきます。そうすることで、これからの市場で求められる、一つの専門性を持ちつつ、両隣の部署と連携して仕事を動かせる「多機能な人材」に近づくことができるのではないでしょうか。


佐々木
最後にこれからキャリアを考える方々へ、中村さんからメッセージをお願いします。
中村
地方企業には、未開のチャンスがゴロゴロ転がっています。それを「面白い」と思える好奇心と、変化を楽しめるタフネスを持った方。私たちバイオ科学というプラットフォームを使って、世界を変えてみたいという野心家を、私たちは待っています。
佐々木
中村さんのように国内外で経験を積んだ方が四国に戻り、この地で「働く」価値を見出し活躍されている姿を見ていると、四国で「働く」価値や可能性は、考え方次第でいかようにも開拓できると感じられるインタビューとなりました。ありがとうございました。

中村 翼

バイオ科学(株)経営戦略室 取締役

大学卒業後、共済組織にて金融実務に従事した後、国際組織のシンガポール事務所代表に就任。アジア太平洋全域の小売・流通業における経営支援を統括する。その後、日系不動産デベロッパーやインフラ企業のシンガポール法人代表などを歴任。東南・南アジアでのM&Aや現地上場企業の経営再建、ASEAN全域の事業基盤構築を牽引し、グローバルな経営手腕を発揮する。2019年に地元・徳島へUターンし、内装事業会社の取締役を経て、2023年よりバイオ科学株式会社に参画。当初はエグゼクティブアドバイザーとしてM&A等の特命案件に取り組み、現在は取締役経営戦略室長として、部門横断の重要プロジェクトや管理部門の最適化を指揮している。

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