銀行から転身。早々にメーカーの難しさを学ぶ。
- 佐々木
- 三谷社長はもともと金融の仕事をされていたそうですね。
- 三谷
- 社会人となって就職した先が銀行で、ずっと金融業界でキャリアを全うするつもりでした。その後、結婚を機に義父である日本キャリア工業の創業者から「経営を担ってくれないか」と相談されたのは、30歳過ぎの頃です。驚きはありましたが、私も金融の仕事を通じ、地方の中小企業とはどういうものか、ずっと見てきました。経営に興味がないわけでもありません。しばらくの時間をもらって考え抜いた結果、これもチャンスだと転職を決意しました。それが2004年。ちょうど、後の主力製品となるベンディングスライサーAtoZがリリースされた直後です。
- 松本
- AtoZは、食肉を薄くスライスするだけでなく、「折りたたんで並べる」という画期的な機能を付加した装置と聞いています。その装置が発売となり、社内は活気づいていたのではないですか?
- 三谷
- 最初は注文が来るのが純粋に嬉しかったですね。しかし、そう単純な話ではない、とすぐに理解しました。生産が間に合わないのです。当時の生産キャパは月3~4台がギリギリで、すぐにオーバーフローになってしまいそうでした。そこで半年先まで生産計画を立て、プランに沿った生産を行ない、半年ごとにスケジュールを見返すことにしました。それでもキャパを超えてしまい、夜通しかけて生産し、朝になって引き取りのトラックに渡す、といった綱渡りもありました。
- 佐々木
- それはかなり大変な状況ですね。経営的にはどうだったのでしょうか。
- 三谷
- 確かに売れていたのですが、当時の経済環境もあって原価が上がっていたんです。機械を納品し、売上を確認すると、儲けにつながっていない。そこで、取引先と価格改定交渉を行うことになりました。この時は身震いしましたね。当社にも利益があり、取引先にも許容できるラインを見極めなければなりません。強気に行き過ぎると、売上を落としてしまいかねませんし。冷や汗をかきながらの交渉が続きました。
もう一つ、残業の多さも問題でした。納品に間に合わせるため残業が増えると、結局コストがかさんでしまう。業務を平準化することの重要性を、身をもって学びました。売れることを手放しで喜んでいられない、という経営の難しさを入社後すぐ体験できたことは、ある意味良かったのかもしれません。
あきらめの悪さで、ヒット製品を生む。
- 佐々木
- 御社は、「私達は日本で一番あきらめの悪い食品加工機械メーカーです」との言葉を掲げているかと思います。とてもユニークで、御社の姿勢を印象付けるメッセージに感じました。
- 三谷
- このメッセージの由来となっているのが、まさにベンディングスライサーAtoZの開発でして。当社はもともと、食肉をミンチする機械に装着するプレートやナイフ(プナ)という消耗部品を製造する会社でした。従来、数日で使い物にならなくなり交換が必須だったプナに着眼し、部品全体をステンレスにすることで高耐久性を実現した「永久プナ」を独自開発。「値段は10倍。持ちは100倍」という謳い文句で提供を始めた永久プナは、瞬く間に大ヒット製品となりました。
そんな当社の次の柱として取り組んだのが、「折りたたんで並べる」食肉スライス機です。これが思った以上に難しく、開発費ばかり費やし、会社が傾きかけました。それでもあきらめることなく開発を10年続け、ようやくリリースにこぎつけたのです。 - 松本
- 10年間、全く利益を生まない事業に人員と資金を投じ続けるのは、大変だったのではないでしょうか。
- 三谷
- 先代社長から当時の話を聞くと、難しい課題にぶつかり、解決策が見出だせず技術者が反目する、といったこともあったようです。それでもあきらめないというのが、まあ、技術メーカーの狂気じみた執念とでも言うのでしょうか。よく音を上げなかったな、と思います。
- 松本
- そのあきらめの悪さが、ヒット製品につながったわけですからね。
- 三谷
- あきらめの悪さは、当社のDNAでしょう。もっとも、かつてのように、夜を徹してでも開発に取り組め、と若いスタッフに強要するつもりはありません。昔とは時代が違います。何も長い時間をかければいいものができるわけではなく、場合によっては役割分担やアウトソーシングも取り入れながら、無理のかからないように進めていかないといけません。粘り強さも必要ですが、ギアを上げる時とそうでない時を上手に使い分けた方が、より良い開発につながるのではないかと今は考えています。
リスクを取って、プロセスセンターの未来に貢献。
- 松本
- 御社のホームページに「日本キャリアイズム」という言葉がありますが、このイズムについてはどのように感じておられますか?
- 三谷
- 2020年の創業50周年を迎えるにあたり、私たちは自社の歴史を紐解きました。永久プナやベンディングスライサーAtoZなど、主力となった製品開発の根底に流れているのは何か、みんなで考えたのです。
そして「アンテナを高くして現状の隙間にある課題を見つけ、試行錯誤して解決策を構築していく」姿勢ではないか、と思い当たりました。そしていざ作るとなったら、こだわりを持ち、工夫を積み重ねて美しく仕上げる。この辺りに、日本キャリア工業のイズムは集約されるのではないか、と定義づけたのです。振り返ってみれば、私は面接でお会いする方に、ずっとそのことを伝えてきた気がします。そこに共鳴した人が来てくれているわけですから、自然とイズムとして定着したのではないでしょうか。 - 佐々木
- 事業を推進する上での課題、壁はどのような点だと思われますか。
- 三谷
- 流通業界における食肉加工の工程は通常「プロセスセンター」と呼ばれます。プロセスセンターは、無人化・自動化したいという思いを漠然と抱えています。人員を半分にしても回るプロセスセンターにしたい、そのための機械が欲しい、という要望が常にあるのです。しかし、無人化・自動化を実現するための答えを、お客様が持ち合わせているわけではありません。私たちはメーカーとして、解決策をどう構築するか、が問われるわけです。
IoTやAIといった周辺のテクノロジーはどんどん進化しています。しかし、具体的にどう活用すれば良いか見出すのは、容易ではありません。時間も手間も資金もかかるため、全方位的には進められません。要点を絞って開発を進める目利き力と、自らリスクを取る覚悟が必要。それが課題ですね。乗り越えるのは苦しいが、越えなければ成長はありません。 - 佐々木
- お客様にも漠然としか見えていない要望ですから、具体策を提示するのは確かに簡単ではないですね。そこが御社の介在価値になるわけですね。
- 三谷
- そうですね。あと、海外展開も課題の一つです。私たちの製品は現在、90%以上が国内向けです。これらを海外に拡げることができれば、大きな成長につながります。しかし、思った以上に難しいですね。
例えばスライス肉を日本のように1mm、2mmといった薄切り肉で必要とする食文化は海外では珍しく、同じ機械で流通できるところは限られています。そのため、異なる食文化にアジャストしていくには、結局、新製品を開発するのと変わらない手間がかかってしまうのです。とはいえ、海外市場への展開は意外なところで発見できるニーズもあり、突破口をあきらめずに見つけていきたいと考えています。
若手とベテランが、互いにブラッシュアップし合う。
- 佐々木
- 社内はどんな雰囲気、風土なのでしょう。
- 三谷
- 以前のように、開発のため夜を徹してベテランが設計図の作成に取り組んだり、ベテランの作った設計図を理解するため若手が朝早くからやってきて、作業開始までに図面を頭の中に叩き込む、といった光景はもうなくなりました。
では、若手にやる気がないかというと、そんなことはないのです。データを3Dに入れておき、ビューワーで見れるようにすると、喜んで見ている。手順を動画にしたらわかりやすいんじゃないかというと、それは私にやらせてくださいと自分から手を上げる。そしてできた動画をみんなで楽しそうに活用しています。 - 佐々木
- 好奇心がないわけではないのですね。以前とやり方が違うだけで。
- 三谷
- スキルを伸ばしたい、早く一人前になりたいという思いは、むしろ今の若い人の方が強いような気がします。彼らに対し「先輩の背中を見て覚えろ」「技は盗むものだ」なんていう昔ながらのやり方は、合わないでしょう。教える側のベテランがまだそういう思考に慣れていないので、戸惑いは多少あるかもしれません。従来の技術を3D図面で共有し、若手を短期間で育成するためのシステムづくりも既に始めています。当社にとっては、それがDX化の第一歩になりそうです。
- 松本
- 中期経営計画で、年間休日を120日にするということも謳われましたね。
- 三谷
- 中経を策定する際に取った社員アンケートで、ダントツに要望が高かったのが完全週休2日制の実現でした。正直なところ、そんなに強い要望であると理解ができていなかったので、この結果は衝撃でした。そこで3年以内に完全週休2日制を導入すると宣言し、すぐに退路を絶ち取り組むことに決めました。
- 松本
- 環境改善に取り組み、職場風土はだいぶ変わったと思いますが、一方、若手とベテランのギャップが目立ってきた、といったことはありませんか?
- 三谷
- ギャップはありますが、問題とは捉えていません。世代によってやり方、感じ方が違うのは、当然だろうと。むしろその違いによって、そういうやり方もあるのだなとブラッシュアップされればいいのではないでしょうか。若い世代は、ベテランが築いてきた技術やノウハウに敬意を持つ。一方、ベテランは、3D図面や動画など若手に馴染みやすいツールを使って若手にアプローチしていく。これらが全てできているわけではありませんが、お互いそうやって、力を合わせていこう、ということはいつも言っています。ベテランの中には言語化が苦手な人もいるのですが、それでも以前に比べると、だいぶ意識が変わってきたと感じます。
ナショナルブランドの期待に応える、という痛快さ。
- 佐々木
- 私たちは四国ならではと言える「働く」上での価値観を発信し、四国で力を発揮したいと思う人を増やそうとしています。三谷社長は「四国ならではの働き方」やその価値について、どう感じられますか。
- 三谷
- 私は四国出身ですが、父が転勤族だったので、西日本のいろんな所で生活しました。そんな私の実感から言って、四国は気候が温暖だし、山海の産物がおいしい。自然が豊かでありながら、都市機能は一通り揃っていて、暮らしやすいですね。
働く点で言うと、与えられる裁量、チャンスが大きいと感じます。会社の規模は小さくなるかもしれませんが、それだけに自分で仕事を動かしている、という手触り感が大きいと思います。 - 松本
- 他地域でキャリアを積んだ方が四国にやって来ると、すごく影響力を発揮できる、という面はあると思います。
- 三谷
- 金融業界を辞してこの会社への転職を決めた時、私は「やってやるぞ」と意欲に燃えていました。それまで多くの中小企業の経営者を見てきたこともあり、今度は自身が当事者として会社の経営に携わり、世の中に貢献していこうと決心しました。若くてもそういうチャンスに巡り会える機会は、高齢化の進む地方において益々増えていくように感じます。
- 松本
- 自分の能力を試したい、キャリアにふさわしい仕事がしたいと考える人にとって、日本キャリア工業はどのようなフィールドでしょうか。
- 三谷
- 当社より知名度の高い会社はゴマンとあります。しかし当社は、ナショナルブランドの流通会社からも支持をいただける機械を供給しています。独自技術を全国に発信する、業界内では知られた存在です。ナショナルブランドが、当社の技術を待ち望んでいると思うと、痛快じゃないですか。そういう仕事のできる会社が、四国にはあるのです。
今後は、欧米へも進出しようとしています。国内どころか、全世界の流通業を驚かす価値を、四国から発信できるかもしれません。 - 佐々木
- 御社が提案する技術が、業界に変革をもたらしていく。四国にいながらも、そんな醍醐味のある仕事に携わるのは、とても魅力的ですね。今日は刺激的なお話をいただき、ありがとうございました。
当社が運営する転職支援サイト「リージョナルキャリア」にて、(株)日本キャリア工業 代表取締役 三谷卓氏の取材記事を掲載しております。併せてご覧ください。
三谷 卓
(株)日本キャリア工業 代表取締役
新卒で金融機関に就職。渉外担当として多くの地方企業を担当する。融資に関する商談を通じ、多くの経営者が奮闘する姿を見て、自分もいずれは企業経営に携わりたいと考えるようになった。2004年、日本キャリア工業の創業者で、義父でもある仲野整氏(現会長)の勧めを受け、日本キャリア工業に入社。主に財務や経理を担当する。2013年、仲野氏よりバトンを受け継ぎ、同社代表取締役に就任。
佐々木 一弥
(株)リージェント 代表取締役社長
香川県さぬき市出身。大学卒業後、2007年に株式会社リクルートに入社。求人広告の企画営業職として、香川・愛媛にて、四国に根差した企業の採用活動の支援を中心に、新拠点や新サービスの立ち上げも経験。2010年に販促リサーチを行うベンチャー企業の創業メンバーとして参画。創業の苦労と挫折を経験。2012年、株式会社リージェントの創業メンバーとして入社。2019年より代表取締役社長に就任。子どもと焚き火をするのが至福の時間とのこと。
松本 俊介
(株)リージェント チーフコンサルタント
香川県高松市出身。大学卒業後、住宅メーカーへ入社。その後、株式会社リクルートへ転職し、ブライダル領域にて結婚式場の集客最大化に向けた提案営業に従事。鳥取県・島根県のエリアリーダーとしてマーケット拡大に向け戦略を設計推進。2017年にUターンし、自身の経験から「暮らしたいところで思い切り働く」という想いに共感し株式会社リージェントへ入社。現在は娘2人、息子1人の三児のパパ。オフも子どもたちと遊ぶのが一番という子煩悩な面も。