目の前の問題を解決したいという想いが、起業の原点。
- 佐々木
- 北島さんのご経歴を拝見すると、まず学生時代の起業がキャリアのスタートとなっています。この事業は、どのような想いで始められたのでしょうか。
- 北島
- 今でこそ「起業」と呼んでいますけど、当時はそんな大層なものとは全く思っていませんでした。原点は、私が大学まで打ち込んでいたアメリカンフットボールにあります。アメフトには選手のケアを担うさまざまなスペシャリストがチームに帯同しているスポーツで、トレーニングコーチ、アスレティックトレーナー、理学療法士、スポーツドクター、管理栄養士などといった方々が私の周りにもたくさんいました。彼らは認定トレーナー、医師、鍼灸師、柔道整復師などの資格を持ち、普段は一般の方を相手にしながらも、「スポーツにも携わりたい」、中には「スポーツの世界でどっぷりやっていきたい」という強い想いを抱えている方もいました。
そんな彼らが口を揃えて言うのは、「スポーツの世界で食べていきたいけど、仕事がない、安定しない」という現実でした。私自身、高校・大学と7年間プレーする中で彼らにどれだけ助けられたか分からない。「こんなにも必要とされる専門家たちに仕事がないなんて本当か?」という純粋な疑問が沸き上がってきました。

- 吉津
- アスリートとして支えられた経験が、課題意識を持つきっかけになったのですね。
- 北島
- そうですね。困っているなら助けられないか、といった私と同じような想いを持って動いていた方々と引き寄せ合ったこともあり、自然な流れで「じゃあ、プロや社会人、大学生チームなど、必要とされている場所を探して営業してみよう」と、仲間と一緒に提案してみることにしました。すると、ちゃんと仕事の依頼がとれるのです。要するに、彼らは高い専門性を有していた半面、営業や提案の仕方を知らなかったり、そこに時間を割けなかったりしていたわけです。需要と供給の間にギャップがありました。
- 佐々木
- そのミスマッチを埋めるところから事業が立ち上がっていったわけですね。そこから先は、どのように事業を展開されていったのでしょうか。
- 北島
- 事業の規模が大きくなるにつれて、今度は別の課題が見えてきました。たとえば、契約していたチームの監督が交代すると布陣がガラッと変わってしまい、私たちが紹介した方々も契約を打ち切られてしまうケースがあり、稼働や生活が安定しないことがわかってきました。そこで「安定的な基盤が必要だね」という話になり、東名阪に13カ所ほど一般の方を相手にする拠点を作り、そこをベースにしながらスポーツの現場にも出向いていく形にしました。そうすると、今度はそちらの事業が大きく伸びていきました。
僕からすれば、一貫して「世話になった仲間が食えるようにしたい」という目の前の問題を解決してきただけでした。周りからは「実業家」なんて言われることもありましたが、全くピンとこなかった。あるエンジェル投資家から「これは事業としてもっと大きくした方がいい」と言われた時に、ようやく「ああ、これはビジネスなんだな」と認識したくらいです。
振り返れば、アメフトの経験そのものが、私のビジネスにおける原体験だったのかもしれません。アメフトは、プレーしながらリアルタイムで作戦を考え、組織を動かす、非常に戦略的なスポーツです。走りながら考え、実行する。この経験が、後のキャリアでも「目の前の課題にまず取り組む」「取り組みながら変えていく」というスタイルの礎になっている気がします。
人生最大の挫折と、大企業で学んだ「守り」の重要性。
- 吉津
- 課題意識をベースに事業を拡大された一方で、その事業は一度畳むことになったと伺いました。差し支えなければ、その経緯をお聞かせいただけますか。
- 北島
- 何の未練もなく「負けた」と思える失敗でした。原因は明確で、コーポレート、つまり管理部門の体制強化や資金調達といった「守り」に気を回し、具現化することができなかった自分の力の無さです。最終的には帳簿上は黒字なのに資金がショートするという、いわゆる黒字倒産でした。
今思えば、兆候が見えた瞬間に打てる手はいくらでもあったはずなのです。でも、当時の私にはその知識も経験もなかった。なにより致命的だったのは判断を先延ばしにしたことです。結果、多くの関係者に迷惑をかけ、一緒に戦ってきた仲間たちも散り散りになってしまいました。あの時の無力感と悔しさは、今でも忘れられません。 - 吉津
- それは壮絶なご経験ですね…。その経験を経て次のキャリアに進むことになったのですね。
- 北島
- 次のキャリアは就職という形で社会に出て、企業の仕組みと事業の「守り」をちゃんと理解しようと固く決意しました。そんな中、相談していたエージェントから紹介されたのが、ガリバーインターナショナル(現:株式会社IDOM)でした。車に興味があったわけでもなく、運転免許すら持っていませんでしたが、最初に紹介された会社に飛び込もうと決めていたので即決しました(笑)。ちょうど創業者から2人のご子息へ社長を交代するタイミングであり、新設された経営企画室で働くようになりました。
- 佐々木
- 具体的にはどのようなことに取り組まれたのですか。

- 北島
- IDOMでの約11年間は、「守り」は当然のことながら、マーケティングで100億円規模の予算を動かしたり、執行役員として新規事業開発と人事制度改革をはじめとした組織開発を同時に推進したり、会社の根幹をなすさまざまな部門の責任者を経験させてもらったりと、多くのことを学びました。そうした中で、学生時代に足りなかった事業の守備力や攻撃力を骨の髄まで叩き込まれたと思っています。
また、オーナー一族と直接対話しながら仕事を進めた経験も、今の自分に活かされています。物事を前に進めるためには、ロジックだけでなく、人の感情や組織の力学を理解し、時には大胆なコミュニケーションも必要になる。「Everything is negotiable(全ては交渉可能)」という精神は、この時に培われました。最初の起業で「0→1の攻め」を、そしてIDOMで「守り」と「1→10の攻め」を学びました。攻めと守りの両輪が揃ったことは、次のキャリアを考える上で非常に大きな意味を持ちました。
「無垢さ」に惹かれ、徳島のスタートアップへ。
- 佐々木
- IDOMで大きな実績を積み、さまざまな選択肢があった中で、なぜ徳島の電脳交通を選ばれたのでしょうか。CEOの近藤さんとの出会いがきっかけだったと伺っています。
- 北島
- これもまた不思議な出会いでした。とある勉強会に遅れて参加したら、一人の男性に呼び止められて名刺交換を求められたのです。それが代表の近藤でした。その時の印象は「なんだか変わった人だな」くらいのもので、特に何も感じませんでした。後日、彼から改めて連絡があり、私と面識を持つために勉強会に参加していたことを打ち明けられ、再び会うことになりました。場所は東京・初台のカフェだったと記憶していますが、そこで「一緒にやらないか」と誘われたのです。
よく「決め手は何だったのですか?」と聞かれるのですが、実は明確な理由はありません。前職に入社する時もそうでしたが、私は昔から選択肢が一定絞られたら、それを吟味すことにあまり時間をかけないタイプなのです。 - 吉津
- 決め手がない、ですか。それはまた意外ですね。
- 北島
- 私の根底には「選ぶ」というより、「出会っている」という感覚の方が強くあります。父親が転勤族であったこともあり、これまで20数カ所以上の土地を転々としてきた経験が大きいのかもしれません。特定の土地やコミュニティに根ざしてこなかった分、「置かれた場所で偶然にも出会ったこと、出会った課題に全力でコミットする」というスタイルが自然と身につきました。選択肢を並べて比較検討するより、目の前に現れたものにギュッと集中する癖があるのです。だから、ダメだという明確な理由がない限り、「まずやってみよう」と動いてしまう。
- 佐々木
- なるほど。「選択」ではなく「出会い」へのコミットメント、ですか。では、電脳交通やタクシー業界に「出会った」時、そこに何を感じたのでしょうか。
- 北島
- 私が惹かれたのは、その「無垢さ」でした。入社当時(2019年) の電脳交通は、素晴らしい課題に向き合ってはいたものの、組織としては良くも悪くも「天真爛漫な小学生」のような組織。エネルギーはあるけれど、まだまだ粗削り。そして、タクシー業界も古くからある業態で、構造的な課題や変革の難しさを抱えている業界。だからこそ「うまく変えられるのではないか。変われると信じてもらうことができるのではないか。」という変革の余地、課題が山積している。私は、全くの新しいもので未来を創るより、今あるもので新しい価値を生み出す方が好きなのです。
そして、入社してすぐに全社員と1on1をしました。当時20人前後の規模でしたが、組織の未来を予測するためには、構成員である一人ひとりが何を考え、どんな動機で動いているのかを理解する必要がある。これは私にとって、相手を理解するための情報収集であると同時に、会社の未来の不確実性を減らすための行動なのです。「この人は何を大事にしているのか」という動機が分かれば、安心して任せられる。徹底的に対話して、相手を理解しようとすることから始めました。
「資本主義の論理」と「社会課題の解決」を両立させる会社を発明する。
- 吉津
- 入社されてから、電脳交通は資金調達も成功させ、大きく成長しています。北島さんが見据える、この先のビジョンについてお聞かせください。

- 北島
- 私たちが目指しているのは、事業成長の先にある「会社そのものの再定義(=会社の発明) 」です。それは、電脳交通という一企業を、社会インフラとして新たな存在へと進化させる挑戦です。
具体的に言うと、利益の考え方を根本から変える必要があります。極端な例ですが、東京の事業では20%の利益を出す。一方で、徳島のような地方では10%。さらに採算が合わない離島の交通では、マイナス3%の採算であっても交通インフラを担うパブリックカンパニーとして交通サービスの質を維持する。 こういうバランスを前提にしたモデルを描いています。都市部で得た収益を、地域社会の維持や持続可能な交通インフラに還元する。 それこそが、民間企業として社会的意義を果たす方法の一つであり、私たちが本当に目指している“交通のインフラ化”の姿なのです。 - 吉津
- それは、従来の株式会社のあり方そのものを問い直す、壮大なビジョンですね。民間企業が、かつての「公社」のような役割を担うということでしょうか。
- 北島
- まさにその通りです。そのためには、会社の規模はもちろん、投資家の方々の価値観や、何より資本政策そのものを変えていかなければならない。短期的利益を追求する株主ばかりでは、このモデルは成立しません。もしかしたら、国や自治体といった公的な資本がもっと入ってくる形になるかもしれない。
私たちがやろうとしているのは、「資本主義の論理」と「社会課題の解決」を完全両立させることです。プライベートカンパニーでありながら、公的な責任を担う。この挑戦こそが、ベンチャースピリットの真髄だと信じています。プロダクトやサービスだけでなく、「会社のあり方」そのものを変革させることにこそ、もっとベンチャースピリットは発揮されるべきなのです。
最終的なゴールは、都市と地方の間に存在する移動の利便性の格差を是正し、誰もが取り残されない社会を創ること。誰もが享受できる移動サービスの質の下限が、社会全体で一致して上がっている状態を実現したい。創業メンバーがいる今だからこそ、そこまでやり遂げられたらと思っています。
取り組みたいと思える「イシュー」かどうかが、キャリア選択のすべて。
- 佐々木
- 最後に、この記事を読んでくださっているであろう、都会と地方、大企業とベンチャーといった垣根を越えた、新しいキャリアを模索している方々へメッセージをお願いします。
- 北島
- まず、そうした方々が電脳交通で働くことを考えるのであれば、覚悟を持って臨んでいただきたいと思います。私たちが取り組んでいることは、挑戦的、つまりとても大変なことですから。「なぜ、自分の貴重な時間と能力、言ってみれば人生を、この会社で使うのか」という問いに、明確な答えを持っている方に来ていただきたいです。
ただ、その上で言いたいのは、キャリアにおける「リスク」という考え方は、もはや幻想だということです。考えてみてください。今の日本で高いスキルを持っている人が、地方創生や交通という巨大な社会課題に取り組むスタートアップに飛び込む。そこで3年間、本気で汗を流す。その経験は、間違いなく「brilliant career(輝かしい経歴)」です。仮に3年で辞めたとしても、その経験を引っさげたあなたの市場価値は間違いなく上がっています。おそらく年収も上がるでしょう。どう考えても、失うものより得るものの方が大きいと思います。

- 吉津
- なるほど、リスクは幻想だと。では、キャリア選択の最後の決め手、そのキーワードは何になるのでしょうか。
- 北島
- それは「当事者意識の広さ」だと思います。自分が取り組む課題を、どれだけ自分ごととして捉えられるか。それはタスクやミッションということだけでなく、交通という領域を超えて、更には時間軸にまで及ぶべきです。つまり、将来の世代に対して、どれだけ当事者意識を持てるか。
実は私、娘とある勝負をしているのです。娘は高校2年生で、受験勉強の真っ只中です。大学はもちろん、その後の社会に出るタイミングで、「日本には興味がない」なんて言わせたくない。私の人生を賭けた勝負は、その娘に「やっぱり日本が面白い」と言わせること。私が電脳交通でやっていることも、突き詰めれば次の世代が「この国で生きていきたい」と思える未来を創るための一つの挑戦なのです。
この当事者意識があれば、どこで働くかなんて、もはやどうでもいい問題です。大事なのは、何に自分の時間を使うのか。その「イシュー」の質がすべてです。私たちは、非常に良質で、未来に繋がるイシューに取り組んでいる自負があります。地方にも、面白い人がたくさんいます。旅の目的が「うまい料理」や「うまい酒」だけでは長く続かないのと同じで、キャリアの目的も「あの人たちと一緒に、デカい課題に挑みたい」といった、人とのストーリーであっても良いのではないでしょうか。もしあなたが今くすぶっているなら、それはきっと、心の底から燃えられるだけのイシューに出会えていないだけ。私たちは、そのイシューをここ徳島で用意して待っています。 - 佐々木
- 目の前の課題とどれだけ真摯に向き合えているかどうかが、その方のキャリアに大きな影響を与えるわけですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。
当社が運営する転職支援サイト「リージョナルキャリア」にて、(株)電脳交通 代表取締役CEO 近藤洋祐氏の取材記事を掲載しております。併せてご覧ください。

北島 昇
(株)電脳交通 取締役COO
1977年生まれ。早稲田大学在学中に起業し、約9年間の経営を経験。2007年に株式会社ガリバーインターナショナル(現:株式会社IDOM)に入社。執行役員として経営企画、マーケティング、新規事業開発、人事、広報など複数部門を統括。2019年3月、株式会社電脳交通に参画し、取締役COOに就任。事業戦略、組織開発、資金調達など経営全般を管掌する。

佐々木 一弥
(株)リージェント 代表取締役社長
香川県さぬき市出身。大学卒業後、2007年に株式会社リクルートに入社。求人広告の企画営業職として、香川・愛媛にて、四国に根差した企業の採用活動の支援を中心に、新拠点や新サービスの立ち上げも経験。2010年に販促リサーチを行うベンチャー企業の創業メンバーとして参画。創業の苦労と挫折を経験。2012年、株式会社リージェントの創業メンバーとして入社。2019年より代表取締役社長に就任。子どもと焚き火をするのが至福の時間とのこと。

吉津 雅之
(株)リージェント 執行役員
広島県福山市出身。大学卒業後、株式会社リクルートに入社。住宅領域の広告事業に従事し、2013 年より営業グループマネジャーを歴任。2018年に8年半の単身赴任生活に区切りを付け、家族が暮らす四国へIターン転職を決意。株式会社リージェントでは、四国地域の活性化に向けて、マネジメント経験を活かした候補者・企業へのコンサルティングを行っている。